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汲古叢書119 南朝貴族制研究

汲古叢書119 南朝貴族制研究

◎南朝官僚の政治的社会的特権身分を詳細に考察し、「貴族制」の内実に迫る

著者 川合 安
ジャンル 東洋史(アジア)
東洋史(アジア) > 魏晋隋唐
シリーズ 汲古叢書
出版年月日 2015/01/15
ISBN 9784762960185
判型・ページ数 A5・384ページ
定価 11,000円(本体10,000円+税)
在庫 在庫あり
 

目次

【主要目次】
序 論
 序篇 「六朝貴族制」論と南朝政治社会史研究
第一章 六朝隋唐の「貴族政治」
第一節、内藤湖南の「貴族政治」説とその継承
内藤湖南の「貴族政治」説/岡崎文夫の「貴族制」説/内藤乾吉の三省制度研究
第二節、濱口重國の「貴族政治」説批判     第三節、越智重明の六朝「貴族制」説
第四節、中村裕一の文書行政研究        第五節、渡辺信一郎の専制国家説
第六節、日本史研究者からみた三省制度
石尾芳久、石母田正の日唐政治体制比較論/佐藤宗諄、古瀬奈津子、吉川真司の研究
第二章 日本の六朝貴族制研究
第一節、内藤湖南、岡崎文夫の中世貴族制研究  第二節、宮崎市定の九品官人法研究
第三節、矢野主税の門閥社会研究        第四節、越智重明・野田俊昭の族門制研究
第五節、中村圭爾の六朝貴族制研究
第一篇 宋斉政治史研究
第三章 劉裕の革命と南朝貴族制
第一節、劉裕の革命に関する学説史       第二節、劉裕起義  
第三節、劉毅との対抗             第四節、禅譲革命
第四章 南朝・宋初の「同伍犯法」の論議
第一節、同伍犯法の論議  同伍犯法の論議試訳/同伍犯法の論議における士人と庶民
第二節、盗制の論議  盗制の論議試訳/盗制の論議における士人と庶民
第五章 元嘉時代後半の文帝親政
第一節、文帝の親政体制            第二節、文帝の北伐政策
第三節、寒門・寒人層の官界進出        第四節、在地豪族層と皇帝権力
第六章 『宋書』と劉宋政治史
第一節、沈約『宋書』における劉宋政治史    第二節、劉宋政治史研究の現状と課題
第三節、前廃帝期政治史  輔政体制期/親政体制期
第七章 唐㝢之の乱と士大夫
第一節、唐㝢之の乱の顚末           第二節、南斉・武帝政権の戸籍検査政策と民力休養論
第三節、蕭子顕『南斉書』の立場
第二篇 南朝貴族社会の研究
第八章 南朝貴族の家格
第一節、「族門制」論の概要          第二節、「族門制」論の論拠とその問題点の検討
第三節、南朝貴族の「家格」
第九章 南朝官人の起家年齢
はじめに――南朝官人の起家をめぐる研究史
第一節、南朝宋・斉時代の官人の起家年齢  甲族の起家年齢/後門の起家年齢/三十歳以上の起家の事例
第二節、梁の武帝の改革後の起家年齢
第十章 門地二品について
第一節、門地二品   第二節、姓譜の盛行   第三節、門閥貴族批判
第十一章 東晋琅邪王氏墓誌について
第一節、東晋琅邪王氏墓誌   第二節、東晋琅邪王氏墓誌からみた貴族社会  王閩之/王康之
第十二章 柳芳「氏族論」と「六朝貴族制」学説
第一節、柳芳「氏族論」にみえる南朝の譜学   第二節、南北朝時代の譜の内容
第三節、北魏の姓族分定
結 論                あとがき・初出一覧・索 引

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内容説明

【序論より】(抜粋)

本書は、中国の江南で五世紀から六世紀にかけて展開した政治社会体制、すなわち南朝貴族制を取り上げて、その具体相を究明することを通じて、大正時代の内藤湖南以来、わが国の六朝隋唐史の最も重要な研究テーマの一つである「貴族制」とは一体どのようなものであり、中国史上においてどのような意味をもっていたのかを解明しようとするものである。ところでこの「貴族制」は、「貴族制」の下での皇帝権力が貴族層によって大きく掣肘されているという「貴族政治」の側面と、貴族階層が累世高位高官を輩出し、同等の貴族階層の間で通婚することによって、固定化して閉鎖性を強めたという「貴族制社会」の面と、大きくいって両面から論ぜられる傾向があった。この論点は現在に至るまで基本的に継承されている。第二次世界大戦後、一九五〇年代に貴族の官僚的側面を重視する傾向が強まるなかで、いわゆる「寄生官僚」論が提起され、六〇年代から七〇年代にかけてのわが国の六朝貴族制研究においては、貴族を「寄生官僚」とみるか、あるいは共同体の指導者とみるか、という論争が活潑に展開された。この論争については、六朝貴族制論に関する研究史的考察の中で、従来も大きく取り上げられてきたので、詳細はそれらの先行研究に委ねる。私見では、六朝貴族はその生活をほとんど俸禄に依存した寄生官僚ととらえる矢野主税の学説は、越智重明、川勝義雄らの諸氏による批判があり、もはやそのままでは成立しがたいと考えるが、貴族と豪族とを区別し、貴族の官僚的側面を重視すべきであるという提言については、なお傾聴すべき論点を含むと考える。ただ、その官僚としての貴族が、たとえ荘園などの強固な経済的基盤をもたず、その生活を俸禄等の収入に依存していたとしても、そのことをもってただちに貴族を皇帝権力に寄生する官僚という結論を導くのは、あまりにも短絡的に過ぎるのではないだろうか。この点については、中村圭爾「六朝貴族制と官僚制」における、六朝貴族は官人的形態をとって存在するけれども、「みずからを皇帝の支配を成立せしめるために機能する官僚として実現することに否定的」であるという指摘が非常に示唆的であり、皇帝に官僚として仕えることは、一方的に皇帝に身も心も委ねて服従するということにはならないと考える。他方、貴族の共同体の指導者としての側面、すなわち地域社会における名望家である豪族と、中央朝廷における官僚である貴族との連続面を重視する川勝義雄、谷川道雄の観点は正当なものと考えるが、東晋南朝の北来の僑姓貴族については、地域社会との関係性を見出しがたいこともあって、両氏の研究では、貴族=寄生官僚論を批判しつつも、こと南朝に関する限り、むしろ寄生官僚論を追認する結果に陥っているのではないかとさえ考えられるのである。

両氏の観点を受けついで、南朝の「地域社会に根ざした「望族」的豪族の徳治主義と尚賢主義とに基づく政治的機会均等の要求を掲げた政治的擡頭」に着目した安田二郎は、その一方で、北来の門閥貴族層も危機意識を喚起されて「門地一辺倒から才学中心のあり方への自己革新の必要性を自覚」したことの歴史的意義を評価して、寄生官僚論的理解を克服する方向性を提示しており、この方向性は本書でも継承しなければならない。以上のような観点から、本書では、南朝の官僚としての貴族を主に取り上げて、その政治史上における役割や政治的社会的特権身分のあり方に考察を加えつつ、「貴族制」の内実に迫っていきたい。

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