目次
第一章 『中論』訳註 第二章 『人物志』訳註
第二部
第一章 中国古尸箚記 第二章 両晋交替期、乱世の人びと―顧栄と炙肉、郗鍳と塢主のことなど―
第三章 西安考古訪問記 第四章 西安を訪れた日本人
第五章 〈書評〉劉文海著/李正宇点校『西行見聞記』
第三部
一 私の好きなことば 二 很糟漢語日記里的両、三天 三 私のすすめる本
四 切ない食談義 五 敗戦前後の一小学生
六 歴研と私―事務局員斎藤政子さんのことなど―
七 多田狷介訳『滄桑――中国共産党外伝――』刊行後の幾つかのこと
あとがき
内容説明
本書に新たに収録した「『人物志』訳註」は、もと「『人物志』訳稿」(上)・(下)と題して日本女子大 学史学研究会の機関誌『史艸』二〇号・二一号に、「『中論』訳註」は、もと「『中論』訳稿」(上)・(下) と題して『日本女子大学文学部紀要』三一号・三二号にそれぞれ分載したものである。
【はじめに】より(抜粋)
三世紀、後漢末から三国魏代にかけての人、魏の明帝(曹叡、在位二二六~二三九)代の立法家でもあった劉邵の著わした『人物志』に関連して、京都府向日市の長岡京宮跡から一九七八年に「人物志三巻」と墨書された木製の籤牌が出土した。これにより、八世紀末の長岡京には巻子本の『人物志』が架蔵されていたものと推測される(本文二一七頁参照)。また九世紀末の藤原佐世撰『日本国見在書目録』の名家の項には「人物志三巻劉劭撰」と見える。これらは千年以上も前の日本における『人物志』の痕跡であるが、それが日本においてどう読まれたのかは不明である。手筆本の伝承はなく、降って長澤規矩也著『和刻本漢籍分類目録』(汲古書院 一九七六年一〇月)にもその書名を見ない。
「『人物志』訳註」は、旧稿を推敲のうえ、九分九厘はそのままを収録した。「『中論』訳註」は、本書に収録するに際し、旧「『中論』訳稿」を推敲したが、推敲に際しては、徐湘霖校注『中論校注』(巴蜀出版社 二○○○年七月)を参照しえた。
第二部は、三十六年間勤務した日本女子大学を定年退職した二○○六年三月前後以降に発表したモノグラフを、第三部は職場や学会の月報類の小冊子に掲載した文字通りの小文・雑文を発表時間順に配列し、それぞれに一から七と番号を冠した。いずれも著者個人に対して忘れがたい印象を留めた事柄や人や書物である。