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汲古選書62 佯狂 62

―古代中国人の処世術

汲古選書62 佯狂

◎古来中国人はどのように自己を貫いてきたのか、「佯狂」を通じて乱世中国人のあり様に迫る

著者 矢嶋 美都子
ジャンル 中国古典(文学)
中国古典(文学) > 漢魏六朝
中国古典(文学) > 唐宋元
シリーズ 汲古選書
出版年月日 2013/10/07
ISBN 9784762950629
判型・ページ数 4-6・200ページ
定価 3,300円(本体3,000円+税)
在庫 在庫あり
 

目次

はじめに
第一章 中国古代の「狂」
第二章 漢代の「狂」(「佯狂」)、容認から公認へ
第三章 六朝時代の「狂」
第一節 三国魏から西晋の「佯狂」と「方外の士」
(一)西晋時代――「方外の士」という概念の出現  (二)三国魏から西晋のころの「佯狂」
第二節 東晋時代の「狂」――「狂士」と「方外の賓」
(一)東晋草創期、「放達」の流行と「佯狂」の消滅 
(二)東晋安定期、「狂士」と「方外の賓」(高僧)の出現
(三)東晋末から宋初――陶淵明の「狂」と方外
第三節 六朝時代の「楚狂接輿」のイメージ形成について
第四章 唐詩に詠じられた楚狂接輿について
第一節 初唐から盛唐の詩に詠じられた楚狂接輿、「狂歌客」の語の発明
第二節 中唐の詩にみる狂歌と楚狂接輿――白楽天の狂歌について
第五章 『懐風藻』にみる「狂」(佯狂)の観念の受容
おわりに/索 引

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内容説明

【はじめに】より

中国の長い歴史には、王朝が変わる大事件から内部での政権交代など政変に伴う様々な「乱世」があり、人々は混迷する「乱世」を生き抜くために、いろいろと処世の方法を工夫した。古来よく知られているのは、隠者や逸民となって「世を避け」「身を全うする」方法で、人里離れた山中や海岸などに隠棲した。

この一方に、あまり注目されてこなかったのだが、やはり世を避けるポーズとして、古代から中国には「被髪佯狂(ひはつようきょう)」(ざんばら髪で気が狂ったふりをする)があり、社会的に認知された存在として「佯狂」や「狂生」「狂士」と称される人々がいたのである。彼らは「狂」者の振りをして自分の志や正義を貫き、暗君乱世にその存在を小気味よくアピールし生き抜いた。元祖は孔子のそばを通りながら、今の世は徳が衰えているから政治に参与するのは危ないぞ、と歌った楚狂接(そきょうせつ)輿(よ)(『論語』微子篇)。「佯狂」の様相や「佯狂」への見方、存在意義は時代とともに変化し、六朝時代に大いなる変容をとげて、東晋末の風変わりな隠逸詩人とと称された陶淵明を経て、唐代へと継承されてゆく。六朝時代は、貴族文学が花開いた華やかな時代であり、思想的には儒教のしばりが緩み始めて老荘思想がひろがり、また仏教が台頭してくる時期でもあるが、歴史的には王朝の支配者が次々と変わるまさに「乱世」であった。

本書は、楚狂接輿を起点に、「被髪佯狂」の起源とその事由、時代の推移に伴う「佯狂」の変容と人々の「狂」に対する観念の変化の跡を辿り、「狂」(佯狂)という生き方がなぜ暗君乱世を生き抜く処世術と成り得たのか、中国の古代から中世社会における「狂」(佯狂)の存在意義、社会的機能を検証した。また楚狂接輿のイメージの変遷史という側面もある。唐代の白楽天までを限りとして見ても、古来数多の隠者や「佯狂」の中から、楚狂接輿とその歌が出処進退の指針として詩や文章に多く引用され続けているからである。六朝時代に「高潔な士」のイメージが付加され、陶淵明が隠逸生活に入る際に楚狂接輿の歌を指針としたことにより、楚狂接輿の処世やその歌がもつ政権批判の象徴性が明確になった。唐代には、さらに新しいイメージが発見・開発され、様々な感慨や立場、状況を仮託し表現するのに恰好の詩の素材となり、得意の人はもとより隠者や左遷された人、失脚した人、閑職、無位無官の失意の人にまで詠われた。楚狂接輿の「佯狂」ぶりとその歌は、古来、王朝の支配体制、官僚機構の枠、党争など各時代の複雑な人間社会を生き抜く際の、痛快な心の支え、心の片づけ方の指針として機能していたのである。

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