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『仏教』文明の東方移動

『仏教』文明の東方移動

◎百済弥勒寺の造営に焦点をあて、東アジアの「仏教」文明化を日韓合同で探究する

著者 新川 登亀男
ジャンル 東洋史(アジア)
東洋史(アジア) > 魏晋隋唐
東洋史(アジア) > 朝鮮
出版年月日 2013/03/22
ISBN 9784762965036
判型・ページ数 A5・296ページ
定価 8,800円(本体8,000円+税)
在庫 在庫あり
 

目次

【内容目次】
口絵・はじめに 

第一部 百済弥勒寺と舎利荘厳具の発見
弥勒寺石塔の解体修理と舎利荘厳具の発掘……………………………裵秉宣(鄭淳一 訳)
弥勒寺創建の歴史的背景…………………………………………………崔鈆植(橋本 繁 訳)
弥勒寺址舎利荘厳具の美術史的意義……………………………………周炅美(金志虎訳)
舎利安置の百済化…………………………………………………………大橋一章

第二部 舎利奉安記を読む
文字表現から観た「弥勒寺金製舎利奉安記」――典拠を中心に――……………瀬間正之
舎利奉安記と日本古代史料………………………………………………稲田奈津子
「仏教」文明化の過程――身位呼称表記を中心にして――………………新川登亀男

補記
三国時代(高句麗・百済・新羅)舎利荘厳具目録………………………周炅美(橋本 繁 訳)

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内容説明

【はじめに】より(抜粋)

本書は、二〇一二年七月一四日に早稲田大学で開催された日韓合同シンポジウム「百済弥勒寺西塔の舎利奉安からみた『仏教』文明の東方移動」の成果にもとづいて、あらたに編まれたものである。百済弥勒寺は、益山に建立された武王代の壮大な寺院であり、中院・東院・西院からなる三院形式の特異な伽藍として知られている。それぞれの院には塔と金堂があった。このうち、六層まで現存する西院石塔址の解体補修整備がすすむなか、二〇〇九年一月、一層目の心柱石の上面舎利孔から舎利容器・舎利荘厳具、そして舎利奉安記が発見された。舎利奉安記は、表裏にわたって一九三字が刻まれており、「己亥年」(六三九)に舎利を「奉迎」したことが述べられている。ここに、西院石塔の建立時期が確認されるとともに、その建立事情を知る手がかりを様々に得ることができた。また、舎利の安置をめぐる諸問題も具体的に明らかになってきた。

第一部「百済弥勒寺と舎利荘厳具の発見」では、裵秉宣論文「弥勒寺石塔の解体修理と舎利荘厳具の発掘」が、その経過と成果を具体的かつ網羅的に紹介し、注目すべき点を指摘する。

崔鈆植論文「弥勒寺創建の歴史的背景」は、新発見の舎利奉安記を活用しながら、『三国史記』『三国遺事』の編纂史料をあらたに解読し、なぜ益山が注目されたのかを解き明かすとともに、当初王興寺と称された弥勒寺の造営過程を論じている。

周炅美論文「弥勒寺址舎利荘厳具の美術史的意義」は、新発見の舎利壺や荘厳具に施された文様技法、舎利安置の方法などに注目し、その美術史的位置づけを、百済・新羅、中国南北朝・隋、そして倭の場合と比較しつつ論じている。大橋一章論文「舎利安置の百済化」は、百済人が、中国六朝以来の舎利安置をどのように受容し、また、そこにいかなる工夫を加えていったのかを論じた上で、倭の飛鳥寺へと及ぶ。

第二部「舎利奉安記を読む」では、瀬間正之論文「文字表現から観た『弥勒寺金製舎利奉安記』―典拠を中心に―」が、舎利奉安記の典拠を仏典類から博捜し、梁から隋・初唐に至る仏教文化を色濃く受けたものであることを指摘する。舎利奉安記をめぐる典拠論の集大成と言えるであろう。

稲田奈津子論文「舎利奉安記と日本古代史料」は、聖武天皇勅書銅版・薬師寺東塔擦銘・光明皇后発願五月一日経そして墓誌などの日本古代史料を援用しながら、新発見の舎利奉安記の性格と読み方に迫る。

新川登亀男論文「『仏教』文明化の過程―身位呼称表記を中心にして―」は、新発見の舎利奉迎記(通称は舎利奉安記)と法隆寺金堂釈迦三尊像光背銘以下の日本側史料とにみえる身位呼称表記のあり方を問題視して、百済と倭・日本における「仏教」文明化の過程を比較検討する。「仏教」を文明としてとらえ直す可能性を提唱したものである。

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