目次
第一章 日本語と外国語の接触
第一節 梵語との接触の起源
一、密教請来以前 二、密教の請来
第二節 平安密教の梵語研究の意図
一、平安密教請来に伴う梵字文献の請来者 二、円仁の修学 【補説】法華懺法
三、密教儀式の中の梵唄 四、円仁の感動―請来の学問―
第二章 平安密教の展開
第一節 密教事相の背景の概観
一、面 受 二、金剛界法と胎蔵界法の実践資料 【補説】ヲコト点について
三、陀羅尼呪の背景―悉曇学― 基本梵字(悉曇章)
第二節 平安初期の悉曇章の研究
一、慈覚大師請来全雅伝与本『悉曇章』 【補説】四声について
二、智證大師請来『悉曇章』
三、石山寺淳祐本『悉曇十二章』 【補説】五十音図の起源論 【補説】日本語における拗音の問題
第三節 平安初期以後の儀軌と作法次第の訓点資料
一、密教経典の訓点の諸相 二、梵語音表記の工夫 三、梵語の音韻とプロソディ表記の工夫
第三章 日本語における清濁の書き分け
第一節 類聚名義抄の濁音仮名の歴史的位置
一、観智院本類聚名義抄の清濁表示法 二、符号「レ」の源流
三、観智院本類聚名義抄の濁音仮名による表示法の源流 四、濁音仮名と濁点との相関の見通し
第二節 濁点の発生の基盤
一、清濁書き分け史の概観 二、濁点の起源論 三、濁音仮名使用資料と濁点使用資料の概観
第三節 清濁表示法の試行錯誤から濁声点へ
一、濁声点への展開と統合 二、濁音表示の院政期以後の実態
第四章 濁声点から濁点「、、」へ
第一節 濁音卓立標示
一、濁音への注目 二、声調と濁音の二元的標示から一元的標示へ
三、濁音卓立標示資料の流れ
第二節 声明資料の濁音標示
一、金沢称名寺流の声明資料 二、大原三千院流の声明資料
第三節 右肩「濁点」の定着
一、右肩濁点定着の背景 【補説】出合と中世のアクセント変化
二、訓点資料での定着 三、和文系資料での定着 纏 め
附 章 半濁点はどのようにして出来たか
第一節 日本語の表記記号としての圏点「○」
一、序 二、不濁点の発生と広がり
三、外国語転写おける注意符号 1、キリシタン資料の注意符号 2、欧語転写の注意符号
四、浄土真宗と日蓮宗における「○」符号 五、ガ行鼻濁音符 六、「○」記号の通史
第二節 半濁点に関する通説の展開 第三節 江戸初期の半濁音表示法の実態の確認
第四節 江戸唐音資料の「○」 符号 第五節 半濁点の成立―唐音資料から日本側資料へ―
纏 め
結 語
本文注/主要参考文献/要語索引/あとがき
内容説明
【本書】より(抜粋)
kaという発音を日本語では清音と呼び「か」「カ」という仮名で表記し、gaという発音を日本語では濁音と呼び「が」「ガ」で表記する。濁音には清音を表記する仮名の右肩に濁点「、、」を加えて表記する。なぜ濁音を「、、(この記号は本書中、「・・」を使用することもあるが同じもの)」で表記するのか。そういう問題について、日常我々日本人は意識しない。する必要がないからである。意識しないでも自由に使うことが出来るようになっている文字体系形成の背景には、実は「慈覚大師円仁」という平安初期の僧侶が中国に留学して持ち帰った梵語(古代サンスクリット語)の学問が存在した。濁点の成立の背景には、梵語の発音を忠実に外国音として学習するために長い期間に亘って日本人が行なった試行錯誤と極めて巧妙な工夫が隠されている。そういう歴史の彼方に隠された事実を日本語の歴史資料―訓点資料―に基づきながら旧稿に手を入れ一般の人にも分かり易いように再現してみようとするのが本書の意図である。尚、付論として、同じような成立の背景を持つ半濁点「○」の源流についても論じておくこととする。
《第一章の要旨》
平安初期に、中国で当時流行していた新仏教である密教が請来された。この密教では特に梵語の呪文―陀羅尼―の読誦が重要視された。この陀羅尼は漢訳仏典では殆ど全て漢字で音訳されて収められている。平安初期に入唐した天台宗・真言宗の僧達は中国で梵語を学習し、梵語そのものとして陀羅尼の読誦を行うことを我が国に定着させようとした。その最も重要な僧が慈覚大師円仁である。本章では円仁が定着させた梵語の学問―特にその発音に関するものを「悉(シツ)曇学(タンガク)」と呼ぶ―がどのように展開したかの見通しを立てるために奈良時代以後の仏教界の動きを概観し、平安時代に入って以後の天台宗・真言宗の修法の方法やそのテキストの学習における梵語音の記述の工夫や実態を眺めておくこととする。
《第二章の要旨》
平安初期に請来された密教の学問においては陀羅尼の学習と伝承が極めて重要な僧侶の条件になった。そのために僧侶達は『悉曇章』や『胎蔵界儀軌』『金剛界儀軌』の儀軌やそれらの次第書に含まれる梵語特有の発音を修得し伝承する為の種々の工夫を行い実践した。清濁の区別も亦その中の一つの工夫であった。清濁の区別は、悉曇章や密教儀軌系統の訓点資料に含まれる新来外国語としての梵語音の発音の修得とその記述の為に発明されたものであった、ということを具体的資料に基づきつつ眺めていく。
《第三章の要旨》
梵語の音読の場で、原音の梵語の濁音を如何にして表示するかという工夫から生まれた清濁の書き分けは、その後、訓点資料の世界で漢字音へ、更にはやがて和訓表記にも流用され、最終的に濁点として定着することになる。本章ではその濁音表記の定着の過程を具体資料に基づきながら眺める。
《第四章の要旨》
本章では、濁音表示法が濁声点として社会的に統一されて以後、声調表示機能を捨てて濁音だけの表示で良くなった背景と、その加点の位置がなぜ右肩になっていったのかについて具体的な資料に基づきながら考えてみる。
《附章の要旨》
濁点「、、」と半濁点「○」は、共に仮名の右肩に補助記号として使用され、共に日本語と外国語との接触の場に源流があるが、それぞれの成立の経緯は全く異なる。半濁点は、日本語の音韻史の上で室町末期以後にハ行子音が唇音「f-」から喉音「h-」へ変遷したことに応じて、それまで同じ音韻として把握されていた「p-」が別の音韻として意識されるようになり、その記述のために唐音資料が源流となって江戸中期に成立したことを述べる。半濁点という呼称は、濁点「○○」「、、」の半分「○」「、」であるところから成立し、その後通称として一般に受け入れられて今日に至ったものであることを述べる。