(18) 〔板倉重矩自心受用集〕 写一冊板倉重矩は三河深溝藩主。 のち下野烏山に移封。 板倉重昌の長男として元和3年 (1617) 生まれ。 寛永16年 (1639) 継嗣、 内膳正に叙せられ、 寛文5年 (1665) から延宝元年 (1673)に病没するまで、 京都所司代・老中を歴任する。 本書は公事訴訟を裁断する立場にある者の心得を説いた教訓書。三十三か条に分けて、 片仮名交じり文で記述。 昌平坂学問所旧蔵の江戸中期写本。 伝本稀少。 〔黒田直邦老話〕写一冊黒田直邦は上州沼田藩主。 中山家から入って黒田用綱の養子となる。 元禄16年 (1703) に常陸下館、享保17年 (1732) に上州沼田に封ぜられ、 この間、 奏者番・寺社奉行・西丸老中等を歴任。 享保20年 (1735) 没。本書は為政者の心がけを説いた教訓書である。 政治・学問・技芸・武術等にわたる。 享保18年 (1733) の著述と伝える。 墨付九丁の影写本。 後補題簽には 「黒田家老話」と記す。 「秘籍大名文庫」 所収。 〔黒田直邦治教略論〕写一冊前掲の 「老話」 と姉妹篇の教訓書。 同じ年の成立と伝えられる。 四書五経によって為政者の心構えを説いている。 主客の問答体形式。 片仮名交じり文。 序跋は無い。 「秘籍大名文庫」 所収。 〔徳川宗春 温知政要〕写一冊徳川宗春は尾張藩主。 享保15年 (1730) 継嗣、元文4年 (1739) 蟄居を命ぜられ、 明和元年 (1764) 没。本書は宗春が就任のはじめ、 享保16年 (1731) に、 自戒の言葉を二十一か条に記述して家臣に示し、 公私両面にわたる日常の座右の銘、 行政の軌範とした教訓書である。同年3月の自序跋がある。 別名 「尾張大納言宗春卿家訓」。「別本君臣言行録」 と題する写本の叢書に収める。 昌平坂学問所旧蔵。 〔上杉治憲南亭余韻〕 写五巻五冊上杉治憲は米沢藩主。 秋月家から入って明和4年 (1767)襲封、 天明5年 (1785) 致仕して鷹山と号す。 文政5年 (1822) 没。 善政を以って著名である。 本書は藩主の子弟や藩士に与えた短篇の教訓五十章を、 文政13年 (1830)に同藩士小田切盛淑が編集したもの。 南亭は著者の別邸の名称。 本書は明治13年に内務省が購入し、 内閣文庫に移管された新写本である。 〔池田定常 思ひ出草〕 写三巻続四巻七冊池田定常は因幡若桜藩主。 代々松平の称号を許された。 安永2年 (1773) 襲封。 縫殿頭に叙任、 享和元年 (1801) 致仕後は冠山の号で知られる。 天保4年 (1833) 没。 毛利高標・市橋長昭と共に三大名として並び称さる。 詩歌を善くし、 著述は四十八種にのぼる。 松平冠山の随筆、 雑考の書。 天保3年 (1832) の自序跋があるので最晩年の著述と考えられる。 序末、 巻頭に見える「冕?陳人」 は定常の別号。 毎巻首に目録があり、 内容記事の項目が一覧できる。 昌平坂学問所旧蔵。伝本稀少。