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清末中国の西洋体験と文明観

清末中国の西洋体験と文明観

清末知識人の伝統的世界像転換過程を宣教師の言説・独自収集史料から明らかにする

著者 手代木 有兒
ジャンル 東洋史(アジア)
東洋史(アジア) > 明清
東洋史(アジア) > 近現代
出版年月日 2013/02/01
ISBN 9784762929977
判型・ページ数 A5・328ページ
定価 7,700円(本体7,000円+税)
在庫 在庫あり
 

目次

序 論
第一章 アヘン戦争以降の世界像と洋務運動期の西洋体験
一、アヘン戦争以降の世界像  (1)アヘン戦争期の秩序観  (2)総理衙門の秩序観
二、洋務運動期における西洋情報の急増と常駐外交使節の派遣
(1)洋務運動期における西洋情報の急増  (2)常駐外交使節の派遣
第二章 夷務世代知識人における西洋体験と世界像の変動
第一節 劉錫鴻の西洋体験と世界像
一、出使以前の問題意識と世界像
二、出使期の西洋観察と世界像の変動
(1)初代駐英使節の活動概要  (2)西洋観察と世界認識の変化
(3)西洋評価の基準  (4)華夷の接近
第二節 郭嵩燾の西洋体験と世界像
一、出使以前の世界像
(1)一八四〇―一八六二年  (2)一八六三―一八七五年  (3)儒教的価値観による西洋評価
二、出使期の西洋観察と世界像の変動


(1)伝統的秩序観の変動  (2)華夷の「逆転」とその論理  (3)伝統的文明観の維持
(4)中西の異質な価値観への認識の萌芽 
 a女性をめぐる風俗における異質な志向   b政治のあり方における異質な志向
第三章 洋務世代知識人における西洋体験と新たな文明観の形成
第一節 薛福成の西洋体験と文明観
一、出使以前の秩序観と文明観
(1)「上曾侯相書」(一八六五)から「贈陳主事序」(一八七二)まで
a秩序観/b「変局」への対応策
(2)『籌洋芻議』(一八七九) a秩序観/b「変法」の提唱  (3)出使まで
二、出使期(一八九〇―九四)の文明観
(1)西洋における文明の発見  (2)儒教的価値観による西洋評価
(3)中西両文明の同質視と西洋の政教風俗への批判  (4)中西の異質な価値観への認識
第二節 張徳彝の西洋体験と文明観
一、英国出使以前の秩序観と文明観
(1)同文館期(一八六二―六五)  
(2)斌椿使節団・バーリンゲーム使節団期(一八六六―六九) 
     a西洋文明への礼賛/b西洋中心の秩序観の明確化/c伝統的文明観と儒教的価値観/
d新たな文明観の形成
(3)崇厚使節団期(一八七〇―七二)
     a西洋人の文明観との遭遇/b中西両文明の異質性への認識/c必要に応じた西洋文明の受容
二、 英国出使期(一八七六―七八)の西洋観察と文明観
(1)中西の異質な価値観への認識の深化  (2)西洋文明受容の重視と目的意識的観察の徹底
第三節 鍾天緯の西洋体験と文明観
一、出使以前の西洋情報の受容
 (1)広方言館期(一八七二―七四) (2)山東機器局期(一八七五―七八)
二、出使期(一八八〇―八一)における秩序観と文明観
(1)出使期の秩序観――朝鮮認識をめぐって  (2)西洋の富強の原因――新たな文明観の明確化
(3)中西の異質な価値観への認識の深化
     a尊古と喜新、義理と物理/b競争・進歩志向への注目/c静態・保守志向と動態・改革志向
(4)アレン『中西関係略論』の影響
三、出使後(一八八二―)の中国改革論
(1)西洋モデルに学ぶ中国改革論
(2)公司制度と幼童教育  a西洋公司制度の導入/b幼童教育の理論と実践
結  論
補論 張徳彝の総理衙門・在外公館改革論と国際認識
一、初期の総理衙門と在外公館の状況  二、清末の総理衙門・在外公館改革論
三、張徳彝の西洋外交への観察
(1)英国の外交官制度について  (2)外国外務省と駐在各国公使館の間の儀礼・慣行
(3)中国公使館内部の諸問題
四、張徳彝の二つの意見書  五、国際認識と主権国家への志向  結びに代えて
注/あとがき/参考文献/索  引/中文要旨

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内容説明

【序 論】より(抜粋)

伝統中国における知識人は、中国文明を道徳的、政治的、文化的秩序により、社会の安定と調和を実現したものと捉え、それを唯一の普遍的な文明と考えていた。そうした伝統的文明観は、清末の洋務運動期(一八六〇年代―九〇年代半ば)における西洋人宣教師経由の西洋情報の受容や、常駐外交使節の西洋観察など広義の西洋体験を通じて、中国文明とは異質な西洋文明の存在を認める新たな文明観へと転換を遂げていった。本書は、この文明観の転換過程を解明することを目的としている。中国近代思想史研究において、洋務運動期以降における新たな文明観の形成過程の解明に一貫して取り組み、研究の新たな地平を切り開いたのは、佐藤慎一である。佐藤は、王韜、鄭観応、康有為、梁啓超らの思想の新たな関連づけを通して、中国文明を唯一普遍とする文明観にもとづく伝統的世界像の枠組みに代わって、政治的立場のいかんによらず誰もが認めるべき新たな世界像が提出されたことを明らかにし、日清戦争後の梁啓超にその完成を見出した。……日清戦争以前における知識人の世界認識を深化させる上で、決定的な契機となったのは、次の二つの出来事であった。第一は、一八六〇年代以降、宣教師による出版・教育活動の活発化と洋務運動の開始により、西洋情報が急速に増加したこと。第二は、一八七〇年代以降の欧米諸国と日本による植民地獲得競争と、それに伴う伝統的中華世界の急速な崩壊を背景に、一八七〇年代後半から常駐外交使節派遣が開始されたことである。清末における文明観の転換過程を解明しようとする時、それらが知識人の世界認識にいかなる影響を与えたかについての検討は不可欠である。

本書は、一九八〇年代以降の史料の整備と研究の進展、及び筆者が上海図書館で独自に収集した関連史料に依拠しつつ、洋務運動期の知識人における文明観の転換過程を、宣教師経由の西洋情報の受容及び常駐外交使節の西洋観察に注目することによって、解明しようとするものである。

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